「神子、私を封印してくれ。」
全てに決着がつき、祝いの宴に盛り上がる梶原邸。
そんな中、庭に佇む彼女に向かって敦盛はそう言った。
「それはできません。」
ふるふると首を横に振って、望美は笑う。
「どうして、私はもう必要ない存…」
「駄目なんです、だって」
懇願するように言葉を紡いだ彼に、望美は泣き笑いを浮かべて

「約束だから。」

空に浮かんでいたのは、今にも零れそうなほど丸い満月。


君と僕の理由


「私はどうして、ここにいるのだろう。」
あの後願いを聞き入れてもらえず、行く場所も無い敦盛に声をかけたのはヒノエだった。
どうせ帰る場所が無いなら、熊野に来いよ。
是という答えをした覚えも無いが、結局は成り行きで自分は熊野にいる。
別当の屋敷の一室を間借りして、時より笛を奏でたりヒノエとでかけたり
そんな平穏な日々を過ごし、いつしか季節は夏の入り口へと差し掛かった。
「わからない。」
浜辺の適当な岩の上に腰を下ろすと、出るのは溜息。
毎日の日々は穏やかで心休まる。
けれどいつも心を重くさせるのは、自分の存在。


『死んだ身である自分が、未練がましく現世に留まっていいのか。』

鼻を擽る潮の匂い。
路を彩る野の花々。
見渡す山々の大きな存在。


何も知らなかった、生前の子供の頃に五感で感じた自然。
それは今も変わる事無く、熊野には存在していて。
ふとした瞬間に、それを感じる度に胸は痛む。
自分が変わってしまったことが、苦しくて堪らない。
もう戻れない日々が懐かしくて…


情けない、と唇を強く噛み締めた。
戻らぬ過去に縋り、心を乱すなど。
自分にはそんな資格すら無いはずなのに、死んだこの身には。

心を落ち着けようと、愛笛を唇に当てそっと音色を奏でる。
水の加護を受ける敦盛の笛の音は、波音と調和するようにゆっくりと流れてゆく。
「音色が乱れているよ。」
じゃりっと、砂を踏みしめる音がして後ろを振り向けばそこにはヒノエが立っていた。
赤い髪が夕日に映えて、眼に映った彼は自分から見ても格好よく思えた。
「ヒノエ、」
「敦盛、お前さ、誰にも言わずに勝手にふらふらいなくなるなよ。」
苦笑を浮かべてヒノエは、敦盛の横に腰を下ろす。
「すまない、だが私など気にしなくても…」
そう言葉を濁して、俯いてしまった彼を見つめるヒノエの顔には 辛そうな色が浮かぶ。
伸ばそうとした手を宙で拳に変えてその場に留まる。

今にも消えてしまいそうな、敦盛が怖い。
強引に熊野に連れて来て、傍に置いたけれど不安は付きまとう。
幼い頃から抱いてきた淡い心が、恋だと知って時にはもう遅かった。
大切なモノは失ってから気づくのだと。
何でも手に入れてきた自分が唯一、失った人。
それにもう一度出会えたのは、本当に奇跡で。
あの時の感動を言葉にすることなんて、きっと一生出来ないだろう。
だから、みすみす失うわけにはいかない。


「俺はお前が好きだよ、敦盛」
「え?」
波の引いては返す音でが、二人の間を流れる。
冗談ばかり言っていると嫌われるぞ、と呆れた眼差しを送ろうとしたけれど
自分を見つめる彼の瞳は、炎が宿ったように紅く真剣で
ただ酸素不足の鯉のように、口をパクパクさせるしかなかった。
「ヒノエっ・・・」
彼の名前を呼ぶことが、精一杯で。
「お前は浄化されたいと願っているんだろう、まだ?」
切なげな表情で紡がれた言葉に眼を離せず、是の意思をいれてこくりと首を縦に振った。
「俺はさ、」
「ヒノエ?」
とん、という音と一緒に敦盛の肩にかかった重み。
肩に額を寄せたヒノエの、弱弱しい態度や声に驚きつつ次の言葉を待った。

やがて彼は、波音に紛れそうな小さな音でたった一言。


お前が消えるのは嫌だ。


まるで駄々をこねるような言葉だったけれど、敦盛の心の琴線にズンと響いた。
それは命令ではなく頼みでもなく、願い。
もう二度と聞くことの無いと思っていた、純粋な願い。
「私は、」
敦盛の言葉はそこで止まってしまう。

共に生きたい。
心を締め付けるもう一つの思いが、ヒノエを焦がれる恋という名だと気づいたのは 怨霊として還ってきた時だった。
黄泉路の最中、ヒノエとの思い出が鮮明に蘇って離れなかった。
もう一度会いたいという思いが、自分が蘇った理由。
けれど・・・それは許されることじゃなかった。
だから自分はもう彼を思うことなど、許されはしないのに。

「怨霊だとか死んだ身だからとか、そういうくだらない理由は聞かないからな。」
「っ、しょうがないだろう私は実際に許されな・・・」
ぐらりと急に浮遊感を感じ、敦盛の言葉は途切れた。
次の瞬間、大きな水飛沫と音が岩場に挙がった。
「・・・った、ヒノエ!!」
軽く打ちつけた背中がヒリヒリと痛む。
何をするのか、と自分の身体にかかる赤髪の主に抗議をしようと視線を向ければ
「お前が何であろうと、関係ないんだ。」
肩口で呟かれたのは、波音に混じる悲痛なモノ。
「敦盛が生きているだけで、それだけで」
「・・・ヒノ、エ」
おずおずと背中に腕を回して、自分よりも大きくなった少年をぎゅっと抱きしめる。
自然と波音も少し冷たい海水も、気にならなかった。
そして答えるように、ヒノエからも回された腕。
幼子のように二人で、互いを守るように抱きしめた。


しばらくして、濡れてしまった衣を乾かす為に浜辺へと戻る。
単衣一枚で並んで、赤い炎にあたる。
パチパチと火の爆ぜる音が、薄暗闇に自分たちを映す。
敦盛は横目で、ヒノエの表情を見た。
その精悍な顔立ちが、焚き火によく映えていて
さっきと”好きだよ”という言葉が思い出されて、心が落ち着かない。
「何、俺の顔に惚れたのかい?」
「ちが…う。」
いつも通りのからかい口調に、ほんの少し顔を赤らめて言葉を返せば
眼を細めて、ヒノエは柔らかい笑いを浮かべて空へと視線を移した。
「俺が別当になったのは、もちろん熊野が好きだったのも
あるけれど…お前の為でもあったんだ。」
先ほどの話の続きなのだろう、敦盛は黙ってそれを聞く。
「お前が熊野は空気が澄んでいて、自然豊かな良い国だと言っていたから。
 お前の好きなものを俺が守っていきたいんだと、幼心なりに思ったんだ。」
横目でちらりと見れば、そこに映るのは穏やかな表情。
そこから眼が離せなくなってしまう。
いつしか火の爆ぜる音すら聞こえず、彼の声と自分の高鳴る心音が支配した。

「あの頃は非力な子供だったから、出来ないことの方が多かった。
 だからいつか立派な別当になってお前と一緒にこの地で暮らしたいとそう…願ってた。」
「けれど、私は死んで…しまった。」
ビクリと一瞬強張った、背中。
「そうあの時は、一生分の涙を使い果たした。
泣いて泣いて、親父や弁慶に本気で怒られるまで ずっと部屋に篭りきりだった。」
殴られた頬よりも、心のほうが何倍も痛くて。
現実から逃げてしまいたかった、けれど親父たちは決して逃げることは許してくれなかった。
「今考えれば、部屋に篭っていたって何も変わりはしないのにな、と思うけどね。」

そう思えるのは、もう一度お前に会えたから。 もし会えぬままだったら、そうは思えなかったと思う。


「ごめん、」
ぎゅっと、ヒノエの手に己の手を重ねる。
「別にいいんだ、今お前がここにいるだけで。」
握り返された指、暖かい体温と言葉が胸を震わせる。
「その後は、熊野の為だけに湛増として生きてきた。」
何よりも何を犠牲にしても、熊野が平和であるようにと。
だって自分が想い人にできる事は、此処を彼の好きだった穏やかな場所のままで
永らえてゆくことしかなかったから。
「女遊びはしたけれど、いつも抱くのは」
重ねていない方の手で、そっと紫苑の神に指を通す。
サラリと海風に流れるその髪はまるで、絹のように美しかった。
「紫苑色の長い髪の女だった。」
「ヒノエ。」
そこまで想ってもらえて、なんだか嬉しくて涙が伝う。
「忘れてしまえば、よかったのに。」
「忘れられるわけ、ないだろう。」
だって お前は俺の最初で最後の想い人 なんだから。
耳元で囁かれた言の葉が、滴を止め処なく落としてゆく。
細い指が、流れる滴をそっと掬って笑った。


「お前が俺の前に現れた時、二度と失わないと心に決めた。」
どんな手を使ってもね、と。
「ヒノエは、最初から私が怨霊だとは」
「知ってたさ、これでも神職だからね。神子姫もやっぱり知っていたみたいだけどね。」
ヒノエは陽の気を持つ天の朱雀で、別当という神職を持つ者。
神子は神の寵愛を受けし姫君。
気づかぬわけがない。
この二人がいなければ、自分はきっと日々迫る血肉の飢えの前に屈していただろう。
「だから俺は、姫君と取引をしたんだ。」
「取引って、まさか…神子の言ってきた約束とは」
「そう、俺が姫君にそう願ったんだ。あいつがどんなに懇願しても浄化はしないでくれと。」
そしてその代償として
「今回の戦、熊野が源氏方に加勢したのは…」

パッと敦盛の表情が変わり、大きな藤色の瞳がさらに見開かれた。
彼はただ一言”そうだよ”と首を縦に振った。
「馬鹿じゃないか、私一人の為にお前はっ」
声を荒げてキッと、ヒノエを睨むもののただ彼は困ったように笑い
眼を伏せて今度は、そこに炎を宿らせた。
「馬鹿だよ。けどお前の為なら、敦盛が生きてくれるならどんな罰も罪も受けていいんだ。」
「バカ…だ。」
きゅっと重ねた右手に力を入れて、ただ俯く。
心を占めるのは、嬉しい気持ちとどうしてそこまでしてくれるのだろうという疑問。
「どうして、そこまでしてヒノエは私に…」
戸惑いの色と言葉に、ヒノエは不敵に笑った。
「言っただろう?お前が好きだって。敦盛を手放したくない、水軍が一度ならず二度も
お宝を逃がしたなんて、面目が立たないからな。」
止まったはずの涙が、また下る。
嬉しい、嬉しい。
でも自分はそんな彼に何を返せるのだろうか?
一度死した自分には、身体と心しかないのに。
「けれど私はヒノエに何も、代わりに返せるモノなんて無い」
「いいんだ、これは俺の我侭だから。」
死なないで、生きてて欲しいという唯一の願い。


「でももし、お前が俺のことを少しでも好いてくれるならば」
一度、言葉を切って言う。
「俺の帰る場所になって欲しい。」
どんな遠い場所へと航海に出ても、お前が俺の帰る場所で道しるべとならならば
何でもどんな困難も、乗り越えることができそうだから。
「私は。」
そう言って言葉を噤んでしまった敦盛。
けれど今度はちゃんとヒノエの視線を逸らさずに、眼をゆっくりと伏せて
「ヒノエの為に、生きてもよいのだろうか。」
開いた綺麗な瞳でそう問うた。
「もちろん、願ってもないことだ。」
ぐいっと敦盛を引き寄せて、その腕の中で彼を抱きしめる。
いつもは抗議をする彼も、ゆっくりと穏やかにヒノエに身を任せている。
「なぁ、」
上目使いでそう尋ねれば、陽だまりのような笑みを返されて
敦盛はそっと思いを口にした。

「ヒノエ。私は君に会うためにもう一度、生まれてきたんだと思う。」

一度、平家の敦盛としては死を迎えて
八葉として神子を守る為に、この世にもう一度生み出されたと思っていたけれど。


きっと自分は、ヒノエに会う為に怨霊として作り出された。
あの路を還ってきた。
それが許されぬことだとしても、それでも君に会いたかった。
罪だというならば、私も背負う。
君が私の為に、罪を背負うように。
二人でいれば、何も怖くなんて無いから。

ぎゅっと身体を抱く力が強まる。
痛い、とそう呟いてもヒノエは力を緩めてはくれず
顔を埋めたまま、抱きしめている。
「俺、お前に出会えて本当によかった。」
諦めなくて、努力をして本当に…


やっと俺は本当に欲しいものを、手に入れられた。


「敦盛」
「うん?」
「愛してる」
そして彼は、華のように笑う。

私もだ、と。

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